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2009年02月28日

室礼講座 ~ひな祭り編~

木曜の夕方から食事(自分で作りました)とお風呂以外ずっと眠っていたおかげで、風邪はほぼ治ったので、予定どおり室礼講座に参加してきました。


前回お正月編に続き、二度目の参加です。
そのときのブログはこちら


この室礼講座は、松風園で開催される室礼三千の講座で、東京から先生がいらっしゃいます。


室礼(しつらい)は季節や人生の節目に、単なる装飾にとどまらず、感謝、もてなし、祈願など心を添えてしつらえること。

平安時代、貴族が寝殿づくりの広いスペースに、目的や行事に合わせて、調度類を配置して室内の装飾としたことがはじまりで、武家時代の「床の間文化」に変化し「室禮」といわれていたものが「室礼」となったそうです。


中国から入ってきた文化と、日本の文化が融合して今の形になっていますが、陰陽五行説が基となっています。
昔の中国では奇数が重なる → 悪いことが起こる → 厄を祓う という重日思想(じゅうじつしそう)から、

1月7日 人日の節句
3月3日 上巳の節句
5月5日 端午の節句
7月7日 七夕の節句
9月9日 重陽の節句

に、旬の植物から生命力をもらい邪気を祓う行事が行われていました。

3月3日は、この中国文化の「上巳の節句」と日本文化(稲作文化)が習合し、ひな祭りとなったそうです。

「上巳の節句」は、「桃の節句」「菜の花の節句」ともいわれ、子どもの健やかな成長と幸せを祈る祭りの日。
日本古来の人形信仰に基づく祓えの行事(中国では自らが川に入って身を清めていたのが、日本では木や草で形代<かたしろ>をつくって、川や海に流して穢れを祓った)とが結びつき、さらに平安貴族の手遊び人形「ひいな」の習慣とが次第に融合して、現在のような節供に雛人形を飾り、雛遊びをする風習が生まれたそうです。



現代のような、雛人形が雛段の上に鎮座する座り雛の形になったのは、徳川家康の孫、東福門院和子が子供である興子(おきこ)のために作ったものがはじまりとか。


というわけで、本日は海に見立てたブルーの和紙の上に、あられの起源である”干飯”と雛あられ、そして貝殻が川の流れをつくり、和紙で作った雌雛と雄雛を飾りました。








お茶菓子も菱餅の形をしたものと雛人形でした♪




お腹の中のBabyちゃんは女の子らしいので、来年は我が家にも雛飾りが登場するかもです。

  


Posted by tacky at 23:59Comments(3)